2015年7月16日木曜日

中村善吉市議(当時)になぜ辞職勧告決議がなされたか?

 ご存知のとおり、4年前(2011年6月21日)、多賀城市議会は全会一致で中村善吉市議に対し辞職勧告決議を可決した。以下はその際の市議会だよりである。





































 これに対し、中村氏は、あの辞職勧告決議は無効だった、と以下のように盛んに主張している。
 http://www.pathos.ne.jp/~nakamura/kaiho/no28/index.html

 きっかけとなったのは、決議にもあるように、中村市議(当時)も賛成して作られた子宮頸がんワクチンの接種について、同市議が不妊になる、性道徳が破壊する等不安をあおったことにあった。今日からみれば、中村市議(当時)の理由はともかく、深刻な副作用を起こすことが明らかとなり、根本的に言えば厚労省の治験が不十分であったことが理由ではあるが、認識不足であったことについて私も責任の一端を感じている。

 しかし、そのことをもって、「中村市議(当時)に辞職勧告を行ったことは誤りだった」との声は、多賀城市議会内には全くない。なぜか。それは中村市議(当時)が同僚市議に対し、荒唐無稽の誹謗中傷を繰り返していたからである。

 その1つは、2010年8月25日付『顕正新聞』で報道された中村市議(当時)の発言内容であった。同紙には次の文章があった。

 「ほとんどの議員が信念を持たず、ただ市長(議長の間違いだったようですー引用者)になりたくて、又名誉や地位、おカネを得たくて活動している」
 「多賀城市議会議員が、区画整理にかこつけて、多額のカネ儲けをした」
 「市議会で『今の教科書は改正すべし』と叫んでも、他の議員から様々な圧力をかけられ、全く用いられず、議員同士が醜い争いに終始」。

 公明党の根本朝栄市議から「問題ではないか」との提起があり、議運として、「本当にそういう発言をしたのか」「根拠は何か」等を質した。中村氏は以上の発言をしたことを認め、根拠はなかったと謝罪し、同年9月28日に全議員に対し「お詫び状」(①)を提出した。





 













 中村氏の讒言はその後も続きまたも問題となり、全市議に対し次のような2度目の「お詫び状」が提出された。





























 上記「お詫び状」(②)は中村善吉市議(当時)が自ら議会に提出したものであって、私があれこれ注釈をすべき問題でもないが、議事録削除問題だけは私も深くかかわっていたので、若干解説をくわえることにする。
 2010年3月3日、中村善吉市議(当時)は教科書問題について(現在使用されている教科書は間違っている。扶桑社等の教科書を採用すべきであるとする)一般質問をおこなった。その際私は、中村氏の発言内容があまりに歴史的事実を無視した我田引水の議論が含まれていたために最小限の削除を要求し、議運で話し合われることになった。
 私が問題にしたのは以下の点である。

 「我が国はコミンテルン(世界共産党組織)の中国共産党側の謀略でシナ事変(日中戦争)を仕掛けられ…」
 「教科書は歴史よりも政治を優先する中国と韓国の検閲を受けるようになりました」
 「中学生から歴史の授業後、感想文の提出はいかがかであります。かつて本市では感想文等の提出がないようでしたら、ぜひ実施していただきたい」

 中村氏は、日中戦争は中国共産党の謀略で始まったものであり、それを書かない教科書はおかしい、また現在の教科書は中国や韓国の検閲を受けているから、扶桑社や自由社の教科書にすべきである、という訳である。これは明らかに事実にもとづかない思い込みの作文である。感想文問題については、議会の教育に対する過度の干渉であり、教育の独立を無視した行き過ぎの議論であると考え削除を要求した。
 私は、議会の議論は広く補償すべきだと考えていたので、以上の、特に事実に反する点、過度の干渉と取られると思われる点についてしぼり削除を要求した。議運ではむしろ(自民党籍のある)保守系から強い批判が出て、中村氏は全面削除のに近い削除を受け入れ、同年3月12日に、次のように議事録削除の申し出をおこなった。




















 石橋議長は、中村市議(当時)のこの申し出にもとづき議事録削除の手続きをとった。

 ところが中村氏は自らの申し出で削除をしたことを忘れたかのごとく『中村善吉後援会会報第20号(補充版)』で次のように書いた。

 「更に、本年・平成22年3月第1階定例議会(石橋源一議長)では、(共産党議員から)私の発言中の用語に批判を発し、議運(議会運営委員会)を開催、一般質問の会議録から私の発言個所の全部を(本人からの発言のかたちで)削除させられた。/特に、前議長も積極的?に発言して、今回の議運での全議員発言部削除決定に及んで多賀城市議会史上最悪の極みとなりました。しかし、この8月末には市長選が予定されていたので、平成20年12月と同様、表沙汰にすることを控えたのであります。/多賀城市議会には言論の自由は、存在せず、法治国家の市議会とは無縁のようであります。近隣の市議会、町議会議員もたがじょうし議会の実態を知って、「えっ!そんなことできるの?」とびっくりでした」

 この結果、中村氏は「お詫び状」(②)を提出することになった。
 中村氏は、自分の言動が正しいと思うなら、「お詫び状」など出さずに、徹底的に頑張ればよいのである。ところがすぐに詫び状を提出してしまう。ところが本質的な反省はしていないので、すぐに地域で、ネット上で、後援会法で、多賀城の議会には自由がないなどと攻撃を初めてまた詫びる。これを繰り返したわけである。

 経過は以上のとおりであるが、中村氏は、氏がかつて所属していた自民党籍をもつ方々の会派も含め、辞職勧告決議が全会一致で可決されたことの持つ意味を重く受け止めるべきであろう。(2015年7月16日、戦争法衆院通過の日に)

2015年1月24日土曜日

多賀城新図書館等の起工式にあたり藤原益栄団長が談話

 新多賀城図書館等の起工式にあたって
2015年1月21日 日本共産党多賀城市議団長 藤原益栄

一、21日10時30分より、新多賀城図書館等多賀城駅北地区ビルの起工式が行われました。全体として多賀城駅周辺が本市の賑わいの拠点となっていくことについては私ども日本共産党多賀城市議団としても期待をしています。
一、問題にしてきた図書館については、駅前への移転には賛意を表明しつつ、同施設が多くの市民が半世紀近くにわたり利用される施設であることから、「最も混雑するであろう一階の商業施設のトイレが男女各2基しかない」「1500㎡の床面積の現図書館の事務室・作業室が108㎡なのに、3450㎡の新図書館の事務室・作業室は50㎡にも満たない」「(図書館と離れた)商業施設の北側になぜ図書館と商業施設の共同事務所を設けるのか」「滞在型の施設をめざすなどと言いながら会議室や学習室(あるのはコーナー)がない」等、様々な問題を提起してきました。しかしこれらの提起は、満足に検討されることなくこのほど着工の運びとなりました。多くの問題を抱えつつの見切り発車に、開館後の図書館運営に大きな支障が発生することを心から懸念をしています。
一、図書館の所管官庁は市教育委員会でしたが、「商業施設との同居なので…」と終始まじめな検討は行われませんでした。たとえば、市教委として最終図面を確認したのは、入札(10/24)約一ヵ月後の11月19日でした。また、商業施設の北側に図書館との共同事務所を設けることは最終図面で初めて明らかにされましたが、「どの段階で説明を受け了解したのか。どういう検討をしたのか」の私の質問に答えられませんでした。こうして事実上、設計から運営までCCCに丸投げされ、市図書館は「CCC会館図書館部」ともいうべき施設になろうとしています。市教委は商業施設と同居するからこそこれらの問題を真剣に検討すべきでした。市教委の責任放棄は末永く問われ続けることになると思います。
一、こうした背景には、菊地多賀城市長が樋渡前武雄市長の手法を一部真似たことがあります。樋渡氏は2012年5月、突然、「武雄図書館をCCCに委ねる」と東京と佐賀県庁で記者会見をおこない、議会では満足な答弁をせず、批判者はツイッター上で「特殊市民」「ゴキブリ以下」などと攻撃を繰り返しました。菊地市長の場合、これほど極端な手法はとりませんでしたが、市長とCCCとの合意内容に沿う結果を出すよう市教委に求めたことは容易に類推できます。こうした手法は、最近建設あるいは建設しようとしている一関市や大崎市などが、市民や司書の意見に丁寧に耳を傾け図書館建設を進めたことからみても極めて特異なものであり、また、近くで前武雄市長の手法を見てきた佐賀県民が知事選でノーの結果を出したように、地方自治の本旨から逸脱しており、肯定されるべきものでないとかんがえます。
一、私ども日本共産党市議団としましては、限られた条件下にはなりますが、図書館を社会教育施設に相応しい施設にしていくために、今後とも最善の努力を払ってゆきたいと考えています。以上